明治9年10月31日の夜中、大しけの阿田和村小松原を通りかかった軍艦『雲揚(うんよう)』はエンジンが故障して大波に飲まれそうになっていた。まもなく船は岩に激突して沈没、乗組員が海に投げ出されてしまった。小高い場所にあった阿田和村の村民がその様子を目撃し、若者たちが必死の覚悟で海に飛び込み52人の乗組員を救助。しかし23人は行方不明になり、その後海岸に打ち上げられた人もいた。助けられた乗組員は村民の献身的な介抱を受け、大きな恩義に感謝した。その後、日本海海戦第二艦隊司令長官となる上村彦之丞は残務整理のため村で半年ほど暮らし、ここでも温かい迎え入れに「私の第二の故郷だ」と話したという。
それ以降、阿田和では毎年、この事故で命を落とした人たちの供養を続けてきた。そこからさらに60年後、昭和10年に阿田和の高台、旧民生病院(現在は紀南病院)の敷地内に慰霊碑が建てられ供養祭が営まれた。事故から146年、現在は曹洞宗光明寺(山口正倫住職)が供養祭を引き継ぎ、毎年10月31日、境内に眠る23柱の御霊の冥福を祈っている。
図書を中心とした文化的な生活を送るための交流の場の創出や子どもたちが豊かな文化を育み享受できるまちづくりなどを目指して活動する「未来につなぐまちづくりの会」(旧・御浜町図書室活性化会議)はこのたび、この事故を題材にした絵本『雲揚艦のはなし』を制作、供養祭で絵本を紹介した。
イラストはひろ衛さん、文章・資料提供は井戸弘さんと戸崎一馬さん、編集は石垣浩子さんと下川喜美子さんが担当した。
絵本は1冊1000円で、阿田和駅裏の「TKギャラリー&カフェだんらん」で販売するほか、まちづくりの会への電話注文も受け付ける。収益は同会の活動費用に充てる。同会は「絵本を通じて御浜町に伝わる昔話をたくさんの人に知ってもらえれば」と話している。
注文や問い合わせ先は同会の下川喜美子さん(090・8679・6349)。