慶光院清順上人「生誕の地」 より安全に、上りやすく 熊野市観光協会手すりと階段を整備

 熊野市観光協会の中平孝之会長らは5日、熊野市紀和町大栗須地内で慶光院清順上人の生誕の地を示す石碑へと続く山道へ、丸太の階段と手すりを設置。中平会長と大栗須区の檜平誠区長、久保智市議、熊野市商工・観光スポーツ課職員らが設置作業に励んだ。

 慶光院清順上人は同町出身で、伊勢の尼寺・慶光院3代目住職。応仁の乱などの世情から荒廃していた伊勢神宮の状況を憂い、各地を旅して勧進(寄付を募る)を行った。それによって1549年に宇治橋を造営、1563年には129年ぶりに外宮の式年遷宮を実現し、清順上人の没後には志を継承した4代目が内宮の式年遷宮を達成している。

 生誕の地とされる同所には昭和30年に建立された石碑があるが、県道から山へ入ったわかりにくい場所にあるため、熊野建設事務所が令和2年度に国道311号沿いと県道780号線沿いへ案内看板を設置。それを受けて同協会でも同3年度に市の協力を得て県道から石碑への誘導板を5枚設置し、石碑近くには清順上人の功績を伝える案内板も設置している。

 今回の作業は石碑へとお参りする人が増加傾向にある中、これまでは山の中腹までしか階段がなく、斜面の山道は落ち葉が積もるなどして雨の際に滑りやすいとの声が届いたことから安全対策に行ったもの。中平会長らは猛暑のなか、約3時間にわたって作業。登り口から石碑がある広場までの約30㍍間にステンレス製の手すりを設置し、斜面には穴を掘って丸太を据え、階段が出来上がった。

 中平会長は「世界遺産登録20周年となる7月7日までに整備することを考えていた。伊勢神宮のご遷宮を再興させた方の生誕の地であり、ぜひ多くの方にお参りいただいて熊野比丘尼が生まれた場所を偲んでいただきたい」と話していた。

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