年齢は関係ない 目指すは7大海峡制覇 スイマー織田さんが熊野で調整

 還暦を過ぎてなお、世界7大海峡(オーシャンズ7)を泳いで渡ろうと挑む女性がいる。東京都在住のスイマー・織田一枝さん(1960年生まれ)だ。「年齢は関係ない。やりたいことをやろう」と、7月のカタリナ海峡(アメリカ・サンタカタリナ島とロスアンゼルス間33・7㌔)に向け、22日から27日まで熊野市の新鹿や大泊で調整に励んでいる。

 織田さんは東京都出身。小学校5年生から東京スイミングセンターに通い、数々の大会で優勝。身長150㌢と小柄ながらも高校1年生時にはモントリオールオリンピックの100㍍と200㍍バタフライ候補選手になった。天理大学時代は関西学生選手権を4連覇。全日本学生選手権を2度制した。大学卒業後はスイミングスクールのコーチとして後進を指導。神奈川県や奈良県で体育教師も務めた。

 織田さんは、1982年に日本人で初めてドーバー海峡横断に成功した大貫映子さんと大学の同級生。大貫さんの姿に、織田さんは「私もいつか挑戦しよう」と考えていたという。

 還暦を前に「なにか忘れ物がある」と胸につかえがあった織田さん。世界マスターズも考えたが「0コンマを競うのは今はいいか。体力のあるうちにやれることをやろう」と、オーシャンズ7の遠泳を決心した。

 しかし、コロナ禍やハワイ島の大規模火災などの影響で、予定が伸び伸びに。今年ようやく7月8日のカタリナ海峡からの挑戦へとこぎつけた。10月18日からハワイ・カイウイ海峡(41・8㌔)、さらには5年間でノース海峡(22㌔)、クック海峡(23㌔)、ドーバー海峡(34㌔)、ジブラルタル海峡(14・45㌔)、津軽海峡(30㌔)へと挑む計画だ。現在、7大海峡を制したのは26人。織田さんが成功すれば日本人初の偉業となる。

 波や潮の流れ、水温など海は頻繁に表情を変える。織田さんは3月に沖縄でトレーニングを重ね、現在は知人の矢吹紫帆さんが主宰する熊野市波田須町の天女座に宿泊し、新鹿などで様々な状態の海に体を慣らしている。熊野のロケーションに「もったいないぐらい綺麗な海。アイアンマンレースの合宿にもってこいですね」と太鼓判を押す。

 海峡横断で実際に泳ぐ距離は、波などを考えると直線距離の1・5倍以上になる。半日以上を泳ぎ続ける海峡での遠泳。最も怖いのは脱水と低体温症。体が冷えにくいようにワセリンを体に塗る。遠泳中はサポートにつく船舶からチョコレートなどカロリー補給できるものを網に入れてもらい、泳ぎながら口に入れる。以前行った気仙沼大島半島半周の挑戦では、ゴール後に4㌔体重が落ちていたという。織田さんは「自分の体を削ぎ落としながら泳ぐ感覚。でも必ずゴールがある。自分のペースでひたすら泳ぐだけです」と笑う。

 織田さんが人からよく聞かれるのが「怖くないの」という質問。織田さんは「怖いと思っていたらしない。走るより泳ぐほうが好き。水の中から朝日を見たらどんな光景だろう。絶対、楽しい。やりたいことをこの年齢でやらせてもらえることに感謝です」と腕をまくり、水泳で鍛えた筋肉を見せた。

 「年齢は関係ない」と、スタッフと共に夢を追いかける織田さんの姿に、天女座の矢吹さんは「織田さんは波乱万丈の人生を乗り越えて人生チャレンジ燃えています。夢を忘れた高齢者に元気と希望を与えています」と話していた。

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