有馬町出身の山門博之さん(75)が帰郷 自作ヨットで夢を追い フランスから約3年の航海

 水平線を超え、子どもの頃からの夢を追い―。熊野市有馬町出身、フランス在住の山門博之さん(75)がフランスから、自らデザインし建造したヨットで帰郷した。2019年6月にフランス西部のナントを出港。新型コロナウイルスの影響もあり、約2年10ヵ月の長い船旅を経て、今年4月25日に尾鷲港へ到着した。

 山門さんは熊野高専(元・近大高専)の1期生。卒業後は関東で技術を活かし会社務めをしていた。27歳の時、フランスへ自転車旅行に。時間をかけてヨーロッパやインドなどを巡った。その時に出会ったフランス人女性と結婚。パリで生活していた。

 「子どもの頃から、七里御浜から見る水平線が好きで、いつか向こう側に行ければと思っていました」と山門さん。フランスに渡ってからも日本には何度か戻っていたが、50代半ばごろから故郷を懐かしむようになった。

 水平線を自分の力で超え、世界一周を果たしたい。船の知識を学び始め、仕事が一段落する60歳から本格的に船作りを始めた。目標とするヨットは1895年から3年かけて単独で世界一周を果たしたジョシュア・スローカムのスプレー号だ。

 設計士とのやり取りや部品集め、資金繰りなどで「完成まで13年かかりました」と山門さん。この間、生活の拠点もパリからナントへ移し、夢が詰まった11㍍75㌢の「ナントマス号」が仕上がった。名前はフランスの大衆文学「ファントマ」とナント、日本語の「なんとなく」とかけた。

 「ナントマス」号は2019年6月20日にナントを出港。スペインの最西端ケルンやポルトガルのリスボン、カナリア諸島を経て、南アフリカのカーボベルデへ入港。約3ヵ月間の航海により傷んだ船体を直すため3~4ヵ月の期間を同国で過ごした。この間、息子のマロさんが旅に合流した。

 船旅は大西洋を横断しカリブ海、パナマへと。山門さんは「立ち寄った島国の人たちが、みんな親切に迎えてくれました。外国の話を聞かせてくれと家に招いてくれ、話のお礼にフルーツを頂きました」と各国での交流のひと時を楽しそうに話す。

 エンジンを搭載しているとは言え、ヨットだけに進むのは風だよりの面も。長く無風状態が続き思うように進めない日も多かった。最大の危機はカリブ海の横断中、突如発生した高波が小窓から船内へと入った時だ。

 デジタル機器が浸水し使用不能。唯一水没を免れたマロさんのスマートフォンの位置情報などを頼りに近くの港へとこぎつけた。しかし自力航行が不可能になり、無線を飛ばすアンテナも損傷。救助連絡ができない大ピンチだったが、イギリス船籍の船に曳航してもらい難を逃れたという。

 旅の最大の誤算は新型コロナウイルスのパンデミックだ。入国先の港から出港できない日々が続き、次の目的地への入港もままならない状態。山門さんは「1年で日本に来る予定でしたが、お陰で3年近くかかってしまった」と話した。

 今年4月上旬にようやく日本の小笠原諸島へ。そこで出くわしたのが想定外の進路を取った台風1号。高波で大きく傾く船内で夜を明かした。

 尾鷲港には4月25日に到着。陸地が見えた時に「あー、来たなー」と実感が湧いた。長い船旅は保存がきかない野菜や肉類などを食べる機会が少なく、食事はインスタント食品が多かった。山門さんは「これでうまいものが食べられる。とりあえず風呂に入りたいと思いました」と笑う。

 尾鷲港では、山門さんの幼なじみの山門久雄さんら同級生や友人らが出迎えてくれた。長い年月、距離を経ても変わらぬ友情が嬉しい。久雄さんは「この年になってヨットでフランスからやってくるとは本当にすごい」と偉業をたたえていた。

 博之さんらは10月ごろまで日本に滞在し、再びヨットで世界一周を目指しフランスへと戻る予定だ。博之さんは「浦島太郎の気分です。ヨシクマ新聞を読んだ友人や知人らに『あいつまだ元気に生きていたか』と思ってもらえれば嬉しい」と話していた。

 なお、ナントマス号の航海の動画がYouTubeで公開されており「Nantomas」で検索できる。イルカが泳ぐ様子なども楽しめる。YOU TUBE動画のアドレスは次の通り。

https://youtube.com/c/Nantomas

  • URLをコピーしました!